つらつら天野こだち

たくさんの奇跡の上に成り立つ、私たち。

昨日は、朝のうちにTwitterに、ちょっとした思いの丈をぶつけたら、思いの外反応が大きかったのでびっくりしています。

「生きてるんだから命燃やし尽くせよ!」という話だったんですけど、共感して下さった方が、「いいね」ボタンを押して下さって、気付いたら通知が結構なことになっていました。

人間は、自分が辛い時、「自分ひとりが辛いんだ」と思い込む傾向にあります。

それは、自分が自分の置かれている状況や精神状態、環境などに大きく左右されていることに気付かず、視野がぎゅーっと狭まっているからに他ならないのですが、当事者はその時点で、そのことに気付けません。

「辛いこと」にフォーカスしているからで、例えば誰かが「大丈夫?」と声をかけてくれても、「全然大丈夫!」と返事してしまったら、結局、そのひとは孤独なまま、「辛いこと」を抱えることになるのです。

私は、正直この「大丈夫?」の言葉は、好きではありません。

「大丈夫?」って聞かれると、「だ、大丈夫だよ……」と返さないと、相手に心配されるのが分かり切っているからです。

心配されたい訳でも、心配させたい訳でもないのです。

ただ、「大丈夫?」と声をかけてくれた時点で、もう大丈夫じゃないことを気付いてくれている場合も多くて、でもその単純な事実に、「気付けない」でいることがほとんどです。

何故なら、「辛いことにフォーカスしている」から。

「辛いなら助けてって、言えばいいのに」と言えるひとには、言えないひとの気持ちは永遠に分からないし、「助けて」と言える環境で育ってきているという証拠で、言えない環境で育ったひととは永遠に理解し合えない、絶対的な境界線が引かれています。

そこを、理解し合おうと努力するのは大切なことで、「助けて」と言えるひとが言えないひとを気遣って、「困ってるのかな?」と感じたら、周りに手を貸してもらう手助けをするだけで、「言えないひとが『助けて』と言える可能性が出て来る」ものだと、思います。

で。

その、「大丈夫じゃないひと」を見かけた時に、具体的にどうしたらいいのか?の方は、正直、教えてくれるひとはそうそういません。

「頑張ること」が美徳とされてきた時代を生きてきた私たちにとって、「もう頑張れないところまで来ているひと」は、ギリギリまで引かれた弓の弦のようなもので、触れたら弦が切れてしまうかも知れません。

じゃあ、どうするか?

実際に私がされて嬉しかったことは、「疲れたね」と肩を抱き寄せてくれて、頭を撫でてくれて、ぎゅっと抱き締めてくれたことでした。(※相手は残念ながら女性です)

私の場合は、既にギリギリの弦が切れた後でしたけど、切れた後もまだ頑張らないといけなかったので、見かねてブレーキ役になってくれた当時の上司には、本当に本当に、感謝しています。

今はもう連絡も途絶えてしまっていますが、あの日あの時、彼女がああしてくれなかったら、今の私は存在していませんでした。

泣きながら、鼻水も垂らしながら、生きるのが苦しいことを告白する私の手を、落ち着くまでずっと握っていてくれた彼女のことは、決して忘れません。

いつの時も、あの時の彼女のように、「心の中で泣いている誰か」の手を取って、ただ傍にいたいと思っています。

よく、「大変そうなひとに寄り添えばいいんだよ」と言いますが、言葉でも行動でも、「私が傍にいるんだよ」と伝えることで、相手の心と、時には命を救うこともあるということを、それがそのひとにとって一生の宝物になる可能性があることも、どうか、心に留め置いて頂ければと思います。